50年という年月は、過ぎてしまった今思い出すという、いわば、相対的かつ感覚的な作業だといえます。
もっと客観的にこの時空を考えてみたいと思います。
例えば、私たちが生まれた時点を起点に50年を遡ると、
明治44年、1911年になります。
経験してきた50年を振り返るばあいの年月は、多分に主観的であり、特別な感情が入り込み客観的ではおれなくなります。
だから余計わかりにくい時空になり、それをノスタルジーなどと表現したりします。
ところが、私たちが生まれた頃のさらに50年前になにがあったのか。つまりそれは生まれたばかりの私たちには振り返れない時空になり、ほとんど主観のさしはさめないものです。
でも、当時のひとが懐かしみながら50年を振り返ることはできます。
私たちがケネディー大統領就任(1961)や、東洋工業がキャロル360を発売(1962)したことや、鉄腕アトム放送開始(1963年)や、東京オリンピック(1964年)などを思い出すように、
50年前の人たちは、大逆事件の裁判で幸徳秋水ら被告全24人に、大審院が死刑判決を下したことや、小村寿太郎が日本の関税自主権を回復したことや、大阪に通天閣ができたことや、第一次世界大戦のことを思い出すことができたのでしょうね。
こう考えると、50年という歳月は改て、相当な時間なんでしょうね。
それをどうにかこうにか私たちは歩んできたのです。
日々の忙しい日常に埋没してしまいがちですが、
残された余生がどれだけあるのかわからないけど、
できるだけ、悔いの残らないような生き方をしたいものです。
最近、特にキツくて、いつも以上に妙なテンションです。
ご容赦を。
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