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年末の夜中の飲食とたまった疲労からだろうとおもわれるが
胃炎になりました。感染性ではなさげ。
はじめてです。

何か食べると気持ちが悪くなる。

太田胃散。あの苦いクスリ。
手放せません。

飲食の制限のなかの年末年始。

さいてーーーな正月です。

ひたすら子守りと家事と、、、

テレビとゲームです。

撮り溜めしていた映画を何本かみました。
往年の名画、スティング。

あんな感じの映画がいいです。
2012/01/05(木) 17:56 現状 いま 未来 記事URL COM(3)
昨日,帰宅し晩飯を済ませ,なんとなく体のことを考えて自宅周辺をジョギングしてみました。
悲しいくらい体力が衰え,運動しないとなって思ってたもので,思い切って実行。

実は1週間前に仕事を休んだとき,夕方時間ができて,無謀にも長浜まで走ったのです。

はい,死にました。あの峠越え。米軍基地を過ぎて峠に至るコース。遅々として進まない。
気持ちははるか先を軽やかに走っているはずなんです。

峠を越えたときに下り坂。これが急なのです。老体には。
ぼよんぼよんいわせながらかけると言うよりはやっている感じですね。

しかも足がついていかない。峠を降りたところの神社で死んだように横たわって休憩しておりました。

そうです。

帰らないといけないのです。来た道を!

自宅からここまでちょうど3km。往復で6km。

時間は、、、聞かないでくれ。

アイフォンのGPS機能のついたアプリを使って走ったら。なんと全部結果がでるんですね。

距離、時間、時速、燃焼脂肪量、1kmごとのラップタイム。走ったコースまで地図表示されます。

当然とんでもない筋肉痛は、3日後に。全身打撲の様相に。

あれから1週間の昨夜。

こんどはもっと楽なジョギングに。
自宅から交差点でUターンし寿工業の前の道を通ってとんこつラーメンの博多屋のところから自宅に向かうという2.8kmコースで完結するということにしました。

さすがにこの時期,夜中はひんやりして気持ちよかったです。暗くて怖いけどね。
2011/06/09(木) 18:45 現状 いま 未来 記事URL COM(4)
50年という年月は、過ぎてしまった今思い出すという、いわば、相対的かつ感覚的な作業だといえます。

もっと客観的にこの時空を考えてみたいと思います。

例えば、私たちが生まれた時点を起点に50年を遡ると、
明治44年、1911年になります。

経験してきた50年を振り返るばあいの年月は、多分に主観的であり、特別な感情が入り込み客観的ではおれなくなります。
だから余計わかりにくい時空になり、それをノスタルジーなどと表現したりします。

ところが、私たちが生まれた頃のさらに50年前になにがあったのか。つまりそれは生まれたばかりの私たちには振り返れない時空になり、ほとんど主観のさしはさめないものです。

でも、当時のひとが懐かしみながら50年を振り返ることはできます。

私たちがケネディー大統領就任(1961)や、東洋工業がキャロル360を発売(1962)したことや、鉄腕アトム放送開始(1963年)や、東京オリンピック(1964年)などを思い出すように、
50年前の人たちは、大逆事件の裁判で幸徳秋水ら被告全24人に、大審院が死刑判決を下したことや、小村寿太郎が日本の関税自主権を回復したことや、大阪に通天閣ができたことや、第一次世界大戦のことを思い出すことができたのでしょうね。

こう考えると、50年という歳月は改て、相当な時間なんでしょうね。

それをどうにかこうにか私たちは歩んできたのです。

日々の忙しい日常に埋没してしまいがちですが、
残された余生がどれだけあるのかわからないけど、
できるだけ、悔いの残らないような生き方をしたいものです。

最近、特にキツくて、いつも以上に妙なテンションです。
ご容赦を。
2011/05/21(土) 15:25 思い出 記事URL COM(1)
昔のできごとをあれこれ思い出すのは、脳の活性化によさそうですね。

しかし、忘れ去ってしまったことは全くおもいだせませんね。
人によって記憶はまちまちなのは、面白いですね。

さて、30年前のことでてこずっておりますが、50年前のことで覚えていることはありませんか。

私、はいはいをしていた頃、祖母の家の二階の廊下を這っていた事を何故か覚えております。
その直後に階段から落ちたらしいのですがそれは記憶しておりません。

さらに5才のころ幼稚園の入園式で、母に背負われ幼稚園の壁を取っ払った広間にいたのですが、友達のIくんが近くに見えたのでうれしかったのですが、Iくんが突然泣き出したので、あれ、どうしよっかなと一瞬悩みながら、ここは自分も泣いておいた方がいいと思い、泣きました。不思議なもので、それ以後はむやみに泣くことはしなくなりました。

ちょっと、かわってたのですかね。
2011/05/08(日) 11:24 現状 いま 未来 記事URL COM(3)
私たちがいたころの母校はホームルーム活動が盛んでした。
特別にホームルーム委員というクラス委員がいましたよね。

この委員がクラスの計画的なホームルームを運営していたように思います。

私も1回ぐらいやったような記憶があります。

そこで,いまでも忘れられないホームルームの話し合いがあります。
何年のときだかは覚えておりませんが,議題はなんと
「恋愛について」
というテーマでした。

学習と恋愛をどのように考えて学生生活をおくればいいのかということを生徒が意見を出し合いながら進めていこうとしたのだろうと思われます。

それで,まず恋愛とは何でしょかという意見募集を司会者が言ったことについて,誰か(女子)が一言次のように発言しました。

「精神の緊張!」

クラスがややどよめきました。
それを聞いて,いろんな意味で,なんともすごいなあと思ったものです。
男子の何人かはそれを聞いてニヤニヤしておりました。
私も圧倒されてその発言内容もさることながら,そのように断言できることのすごさに感心したのです。

どなたかこの話,おぼえていらっしゃるでしょうか?
2011/04/30(土) 11:45 思い出 記事URL COM(1)
みなさん、母校の校歌、憶えてますか。
安芸の 国原 南に開け
ではじまりますね。まだ、歌えます。

ところで、もう一つ生徒歌がありました。
私はこっちの方が好きで、こっちの方を好んで歌ってたように思います。
おおいなる 夢を抱いて 集まるわれら
ではじまります。
最後がたしか
晴れやかに 青春を唄う
でした。

実はこの歌、作曲がナント、藤山一郎なのです。
あの、青い山脈や丘を越えての!!!

母校のホームページをみててわかったのですがね。
なんとなく、というか、かなりスゴイんじゃないの、これって!
2011/04/20(水) 00:29 思い出 記事URL COM(2)
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